代々受け継がれている会社の伝統、理念、信念、こだわりは大切ですよね。それを維持しようと皆さん頑張っておられます。
しかし「当社の在り方はこうでなければならない」というポリシー。そしてそこに無駄が生じていないか?というのが今回のお話しです。
オレのやり方
「ウチの会社はこうだから」「それがウチのやり方だから」という言葉をよく耳にします。
先日も社内で「つべこべ言わずやれ!」「それが会社のやり方だ!」と怒鳴り声が聞こえ、圧力でねじ伏せ部下を動かしていました。何が原因でそうなったのかわかりませんが、従業員の顔に「それ理不尽だぞ」とハッキリ書いてあるような、そんな重たい空気が流れていたのです。
たとえば「新人はまずはパシリと雑用から。お前らは奴隷みたいなもので、俺にたてつくには100年早い。それがこの業界のあるべき姿だ」という信念を貫いたとします。縦社会ではそういう状況が往々にしてありました。
しかしそれは現実受け入れらていないことが多い。現代は、もう遠回りをして結果を出す時代ではないのですよね。
それはなぜか?を説明すると長くなりますのでここでは言及しませんが、まさに時代の変化です。
「それをしてどうなるの?」「何のメリットがあるの?」「自分がやらないといけないの?」という考え方です。不確実性の高い現代だからこそ顕著になってきています。
その伝統や信念には価値があるのか?
たとえば、高級ブランドが理念や信念、こだわりを持っているのはなぜでしょうか?
それは顧客を中心に人々に支持されているからです。「ウチのやり方」が熱狂的に人々から支持されているからこそ、伝統が価値あるものになり、理念や信念が生かされてくるのだと思います。
そしてまた伝統を重んじ、理念や信念を貫きながらも、時代の変化に巧みに適応しています。
たとえばメルセデス、BMWなどで言えば、高級感を低下させることなく「環境にやさしく」という「世間の価値観の変化」に応えられるよう、燃費に優しいダウンサイジングのエンジン、ディーゼルエンジンを搭載しています。
また国産車に比べたら故障が多いのにも関わらず、なぜヨーロッパの高級車が支持され続けているのでしょうか?
芸や巧などのクリエイティブな世界でもそうでしょう。人を魅せるカリスマ性、求心力、時には周囲の人生を変えてしまうほどの魅力があるからこそ、その人に惹きつけられます。ですからその人の信念やガンコさも支持され受け入れられるのです。
自分ではなく…
伝統や理念や信念、こだわりやプライド。それが人々に共感され、支持され応援されなかったらただのエゴにしかなりませんし、致命傷となり兼ねません。
それらは「自分にとって」ではなく、「人々にとって価値のあるもの」でなくてはならないと私は思うのです。
「我が社の在り方はこうでなければならない」を見直す機会を設けてはいかがでしょう?
なぜその「理念・信念」「しきたり」が必要なのか?その指針はどこへ向かっているのか…?
それは周りの人々から共感されていますか?共有し支持されていますか?
それが人材の成長、ひいては会社を成長させる障害になってはいませんでしょうか?
周囲から「そろそろ気づけよ…」そういうサインを見逃してはいませんか?
今回起こった従業員のモチベーション低下に、改めて考えさせられました。